【能登半島地震】応急木造仮設住宅建設
住宅も道路も復旧追いつかず
全国から仲間が駆けつけ作業
3月から始まっている能登半島地震における応急木造仮設住宅の建設。5月以降の募集もあり、引き続き全国から仲間が駆けつけます。建設横浜も16人の大工をおくりだしました。4月18日から25日まで従事された三枝哲弥さん(鶴見支部)にお話を伺いました。
【取材教宣部 佐藤大地】
「4か月が経過しましたが、住宅も道路も復旧が追いつかず、テレビで報道される復興は、一部のことという印象でした」と話す三枝さん。街を形成している家々がペチャンコに崩れ、ただただショックでした。輪島市町野仮設団地での仕事でしたが、向かう道路はガタガタ。高速も損傷がひどく、移動だけでも一苦労です。
コンビニに長蛇の列が
仮設団地の現場には約130人が従事しています。約70棟を建前・下地・ボード・断熱・壁紙・床張りの6グループに分かれて作業。「自分は建前グループで、敷地内を駆け回りいつも以上に疲れました。正直人は全然足りていない」「断水が続き、自衛隊の給水車が入っていました。シャワーなどは自衛隊に助けられました。コンビニは7~19時の営業で長蛇の列ができていました。まだまだ不便が続きそうです」と現地の苦労が見えます。
家屋の中の様子は見られませんでしたが、「築年数の浅い建物は無事そうな印象を受け、耐震基準の重要性を改めて感じました」と三枝さん。『関東でも大地震が』と言われている中、建て替えや耐震改修が未実施のところも。「思い出や費用の課題もありますが、それで守れる命があるなら」と現地に行って感じたことを話してくれました。